ゆたさん喋っちゃうよブログ

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世界に賞賛される日本のサービスと国際化

日本に訪れる外国人観光客は、いわゆる「おもてなし」と呼ばれる「日本独自」の心配りに驚き、日本独自の精神性や文化により興味をもつといわれる。このような日本人のサービス精神は日本人自身も自国の観光資源の重要な要素と捉えている。

 

その証拠に2020年に東京で開催される予定の夏季オリンピック招致の際にも、日本の招致団は「おもてなし」を最大の売りにしていた。たしかに日本のサービスは世界一とよく耳にするし、その実感もある。他国に観光した際に日本のように細やかな気配りのあるサービスをうけるとしたら、ある程度その代価を要求されるであろう。分け隔てなく最高のサービスを受けられるのは日本社会の特徴であるともいえる。

 

しかし、平等で最高のサービスはこの日本社会の独自性の影響の一端を確認できるのだが、その問題点も同時に示している。昨年、若い社員の過労死が日本で話題になった。この報道以前からも日本は諸外国から「日本人は働きすぎ」であると指摘されてきた。この指摘に関して日本人の一般的な捉え方は諸外国に比較すれば働きすぎているという認識ではあっても、社会全体がこの問題を意識し大きく改善がなされることはなかった。

 

今回大きく取り上げられたのはこの過労死問題が日本を代表する企業のスキャンダルであったことも大きい。日本国内でも日本人の過労働について議論が巻き起こった。日本の働き方は健康で人間的な豊かな生活のなかでの仕事やより良い余暇の過ごし方という視点からも見直されつつある。

 

国際社会の関係性が可視的かつ複雑密になり、国家間が緊張感をもつなか、各国の国民の交流に目をやると、ある「均一性」がみえてくる。留学生と一般学生の「対話」と発表で私が感じたことはある「均一性」である。

 

グローバルな国際社会では、お互いの国の情報は多様に溢れている。そのなかには偏った情報も多々あるが、それぞれ各国の留学生も日本の学生も個人が情報の取捨選択し異なる意見にも寛容性がみられると感じた。情報の受け取り方に関してはグローバル社会における良い「均一性」と捉えられる。

 

対して、私が注視する「均一性」の側面もある。時間の制約もあったのかもしれないが、国家間の課題に関する「本音」がみえないのだ。日本における個人的な課題-例えば日本と海外の文化の違いによるアルバイトでの苦労の話題に関しては共感できたり、意見を言いやすかったりするが、どうしても政治的な話題や国家体制の話題については、情報への一般的な解釈の共有以上の議論にならなかったり、日本寄りの意見におもわれる見解を感じたりした。

 

是が非でも偏ったナショナリズムになる必要はもちろんないが、おそらくうまれた祖国に対するプライドを感じる意見がないのは不自然におもったし、この傾向は特に我々日本人の若い世代の思考に似通ったものであると思う。しかし、かれらが祖国に帰ったときどのような発言をするのか、また許されるのかということに非常に興味も湧いた。

 

私は情報過多な国際社会の将来について、ひとつは多様な情報の取捨選択とそれに大しての寛容的な解釈や理解が広まるなか、それは一方で国家という壁を超えた思想の均一化につながるといえど、それは各国の政治体制をすぐにくつがえすほどの大きな影響力を与えるとは思えない。グローバルな社会において、私たちは国家に対してジレンマを感じて生きていかなければならない。

 

冒頭で述べた日本のサービス精神は各国から賞賛をうけている一方で、国内では経済的付加価値をうむと信じられているサービスのない海外での体験から労働者の視点からの働き方の改善を求める記事もみられる。私自身はこの日本的な「サービス精神」が他国のサービスの一部の改善に繋がることは嬉しいが、同時に働く側の負荷を軽減している社会に学ぶ姿勢も必要だと感じる。